Article: Feuillement / 製作徒然

Feuillement / 製作徒然
言葉にしなければ、輪郭がつかめない。
昔からずっとそうだった。
でも、言葉にしたところで、多くのことはぼんやりとして、つかみどころのないことなんて、いくらでもある。
それでも書き出してみるのは、言葉にしようとするその行為で、ようやく自分がここにいることを確かめられる気がするから。
だけど本当は──
言葉にならない感情のほうが、ずっと大切なのかもしれない。言葉にした瞬間、そこから何かがこぼれ落ちてしまうこともきっとあるから。
CUUCCAの香りを作ろうと、そう決めた時。
思い浮かぶ単語をためらわずに片っ端からノートに書き出した。それでも足りないところは、辞書や本に潜り込み、言葉を探した。それがいつものルーティーンでもあるから。
「Feuillement(フイユモン)」という言葉に出会ったのは、そんなとき。
フランス語で「葉」や「紙」「ページ」を意味する feuille に、行為や状態を示す -ment がついたもの。
つまり語源的には、「ページをめくること」や「葉がそよぐこと」。
ただそれだけの、小さな動作を示す言葉なのに、そこには紙のざわめきや、葉が風に触れたときのかすかな気配、目に見えない空気の動きや、静かな時間の流れまでもが含まれているといいます。
その意味を知れば知るほど、もうこの名前しか考えられなくなっていました。
ページをめくる音を聞いているのは自分なのに、めくった途端、それはもう過去になっていて。
その過去を抱えているのは、もうさっきまでの自分とは少し違う自分。
ページをめくる行為はほんの一瞬のことなのに、未来が過去に変わるその境目を、自分の手で作っているともいえる。人はきっと、そうやって少しずつ、別の自分になり続けているんだと思う。
友人からのメッセージで気付く。今日はフランスの革命記念日。
自由と変革の日に、こうしてこの文章を綴っていることが、どこか小さな運命のようにも思える。
忘れていた記憶や感情をもう一度そっと抱きしめることも、私の中の静かな革命なのかも。
誰かを思うことも、同じかもしれない。
頭に浮かべた瞬間、それはもう過去になっていく。
でも、その思いが過去になったからといって、消えてしまうわけじゃない。
香りも、きっとそう。
ページをめくるときのように、記憶の層をめくり上げてくれる。
香りはもっとも原初的な感覚だと言われていて。
論理や理屈を超えて、一番深いところの記憶と真っ直ぐにつながっている。
しかもそれは順序立てられたものじゃなくて、
ある日突然、理由もなく、遠い日の景色や忘れていた感情が立ち上がってくる。
不思議と、悲しい記憶も香りを通すと少しだけ優しくなる気がします。どれほどの痛みも、いつしか懐かしさに変わる瞬間があると知っているから。
私たちはそうして何度もページをめくり、
何度も記憶を抱え込みながら、少しずつ違う自分になっていく。香りは、その小さな発火点なのかもしれません。
古書のページをめくるときに立ちのぼる甘い匂い。
修道院の薬局で静かに煎じられるハーブたちの香り。
古い教会や図書館に入ったときに感じる、現世との境界線のような、神聖な空気。
そんなイメージを、この香りに閉じ込めたいと思った。
人は、自分が思っているよりずっと多くのことを忘れている。でも忘れたと思っていることも、本当は消えてなんかいない。ただ、遠い書庫のどこか奥にしまわれているだけ。
香りは、その手の届かない場所へそっと降りていって、ときには優しく、ときには少し強引に、その記憶を連れ戻してくれる。
古い紙の匂いが、幼いころ夢中で読んだ絵本のページを呼び寄せるように。薬草の香りが、思いがけず誰かの優しい手を思い出させるように。
それは必ずしも美しい記憶ばかりじゃない。
痛みや寂しさも、一緒に蘇ってくる。
でも── それらも含めて。
香りが運んでくる記憶に触れることで、今の「自分」が少しだけ、立体的になる。
そんな香りにしたい、そう思っています。